嫌われ者と嫌うものと。
翌朝。
昨日はたくさん眠った気がするのに、あの男が帰った後、私はそのまま寝室で眠った。
最近は、なにもかもがどうでもよくて、眠気ばかりが増してきている。
あくびをしながら、ベットから降りる。
「そうだ…このベットに」
昨日たしか、私が家に帰ってきたとき、彼はここで眠っていた。
裸で。
だからすこし、違うにおいがするのか。
男物の香水の香りがする。シーツ洗濯しなきゃ。
ぼーっと考えていると、今日も学校だったことに気がついた。
「ゆっくりしてる場合じゃない、な」
リビングに行くと、カレーの香り。
夢じゃなかったんだ。本当のことだったんだ。この部屋に他人が来て、一緒にご飯食べたこと。
朝ごはんは、食べなくていいかな。
一瞬、鍋を見て、再び学校へ行く準備を始める。
制服に袖を通し、髪をささっと手櫛で整えて、薄く化粧をする。
「あ、腕時計」
あぁ、昨日“友人”と遊んだ時に…。
時計がないと少し困る。
“友人”たちは時間にとても厳しい。
少しでも遅れたりしたら、本当に面倒くさいことになる。
仕方がない、今日だけ兄からもらった時計をつけるか。
本当はこの時計を学校にもっていくなんて嫌けど。
あれは、兄がいつも身につけていた時計。
兄が海外に行く時に、お守り代わりに私にくれた。
大切な…大切な時計。
これだけは、“友人”たちにとられないようにしないと。
マンションを出て、通いなれた道を歩く。
兄の腕時計を確認すると、時刻は「7時40分」。
早歩きで向かえば、始業時間には間に合いそう。…よかった。
“友人”たちは、始業時間ギリギリに教室に入ってくる。
彼女たちを出迎えるのが、私の最初の仕事。
彼女たちより遅れて学校に行ったときは散々だった。
“やっぱり、白石財閥のご令嬢ってなると、遅れてきても先生に怒られないからいいわね”
“お嬢様ってだけで、先生にひいきされて、マジ調子乗ってる”
クラス中の女子が口々に陰口をたたきだして、教科書を破られたり、トイレに閉じ込められたり。
小学校低学年レベルの嫌がらせを受けた。
そんな低レベルな嫌がらせは我慢できる、しかし長く続くと苦痛になった。
助けを求めるにも、先生に頼ったら彼女たちいわく“ひいき”とみなされる。
私は、しかたなく、“お金”で解決することにした。
それからというもの、彼女たちは私の財布を自分のもののように使い始め、私は所謂“パシリ”という存在に落ち着いた。
彼女たちの言うことを聞いておけば、なにも起こらないし、誰も傷つかない。
その代わり、私の財布から、彼女たちの毎日の昼食代が消えていく。
まぁ、私のお金であって、私が稼いだものではないから、いくら使われても、そう気にはしないけれど。
そもそも白石家は財閥ではないし、ただ、あの人たちが一流企業のトップなだけ。
彼らの金銭感覚がおかしいようで、通帳には毎月100万近く学費や生活費として振り込まれている。
「白石の名を持つ者に野垂れ死にされては、恥」
と嫌っている私にお金を振り込むのは世間体らしい。よくわからない。
歩いて30分。
校門を早歩きで通り過ぎて、靴箱を目指す。
どうか、来ていませんように。
校舎内用のスリッパに履き替える。
「糸井・・・・よかった。来てない」
友人たちのリーダー格の靴箱をみると、まだスリッパが入ったまま。
彼女がいないということは、ほかの友人も来ていないということ。よかった。
「あれ、白石さん?どうしたの?」
突然真後ろから聞こえてきた声に、私の体は硬直した。
振り返ってみると、隣のクラスの委員長、野川恭一郎の姿があった。
彼は、私が一人でいるときに、挨拶とか当たり障りのない話で声をかけてくる。
人一倍気を使っているような人間。
彼は私に親しくしてくれるが、それはただの偽善のよう。苛められている私を心配している自分が好きなのだと思う。
“友人”たちといるときには声をかけてこないのがその証拠だ。
まぁこの憶測は私が卑屈な性格故の分析で、当たっていなかったら、野川君に申し訳ないが、入学してから今まで手を差し伸べてくれた人はいないから、そう考えたくもなる。
「顔真っ青だけど、体調でもわるいのかな」
「だいじょうぶ」
「本当に?俺、職員室に用事あるから。気分悪くなったら保健室ちゃんと行きなよ」
「うん」
彼は、笑顔で私に手を振ると、去って行った。
また今日がはじまってしまう。
昨日のことを考えると、気分がさらに落ち込んだ。
まぁ、もうあの男には会うことはないと思うし、考えないようにしよう。
教室に入ると、一瞬、クラスの空気が止まった。 毎日、こんな感じだ。
よくまぁ、いつも同じようなリアクションができるものだと感心する。
クラスにいる、友人以外の子たちは、私にはまったく干渉しないかわりに、間接的に私にかかわろうとする。 本当に、矛盾にしている。
気にもしていないけれど、あることないことを、陰で話すことのどこに面白味があるのだろう。さっぱりわからない。学園ドラマでも見ている気分なのだろうか。
私自身をまったく知ろうともしないで、勝手な私の人物像を、私の近くで語らいあう。
私から見れば、その姿は滑稽としか言いようがないけれど。
…考えない。考えない。もう、不要なことは考えない。高校3年間、静かに穏やかに過ごす。それができればいい。卒業すれば私はきっと自由になれる。
ツーンと、鼻に突き刺さるような香水のにおいとともに、ガヤガヤとうるさい団体がクラスのドアを乱暴に開けた。
「おはよー!」
「エリナおはよ!」
私の“友人”のご登校。
他クラスから遊びに来ていたらしい子に、あいさつをする糸井エリナ。
今日も相変わらずの厚化粧。
一通り、クラスのみんなに挨拶をし終えた、糸井たちの集団は、こちらに近づいてくる。
「おはよう、白石さん」
「おっはよ」
「おはよう!!」
明るい声が、私を責めるように周りを取り囲む。糸井が、私の肩を力任せにつかむと、耳元で静かに笑った。
「昨日は時計ありがと!これ超かわいいじゃん!」
あなたにあげたつもりはない。
私は、兄からの時計に目をつけられないように、うまく手を隠した。
「今日のお昼は、中庭だから、あと昼飯Aランチ頼んどいて、あと場所取りもよろしく。日陰じゃないと怒っちゃうからね」
それだけ言うと、糸井は自分の席に歩いていく。彼女の取り巻きのような友人たちもそれに続いた。
私は、小さく安堵のため息を漏らした。
「また今日も、同じ一日が始まる」