ほころびと違和感と。
住宅街に似つかわしくない大きなマンション。
ここが私の家。私しか住んでいない。
表向きには、私が管理しているマンションということになっているが、この新築のマンションに私以外の人間が訪れたことはない。
たまに、誰もいない管理人室を覗くと、入居希望者が送ってくるハガキやファックスがあふれていたりするけれど、一度も返事を出したことはない。
外には、入居者募集の看板を立ててはいるが、それは私の意思ではなく、彼らの意思であって、無力な私には、これぐらいの抵抗しかできない。
彼らも、私への嫌がらせとして入居者募集をしているのであって、入居者を本気で募集するつもりはない。というか、その入居までの手間でさえも時間の無駄だと思っている。結果、入居希望は無視状態がつづいている。
エレベーターに乗り、自分の部屋がある最上階のボタンを押した。
「ふぅ」
やっとここで、私の緊張の糸がすぅっと緩む。
エレベーターの背面にある鏡に映る自分の顔。
泣きすぎたせいか目は充血していて、ひどく情けない顔をしている。
ぼさぼさの髪を整えようと頭に手をのばしたところで、エレベーターは最上階に止まった。
カバンの底板をはがして、隠していた鍵を取り出す。
数メートルある廊下を歩き、自分の家の扉の前までくると、鍵を差し込み、重い扉をゆっくりと開いた。
「何これ…」
玄関に散らばる布。
よく見ると、学生服。
黒い上着からYシャツ、Tシャツと玄関からリビングにかけて散在していた。
これは私のものじゃないし、もしも私の物だとしても、ここまで散らかすことはない。
誰かいるの…?
せっかく解き放たれた緊張感がまた体を包む。
すべてを諦めているはずの心でも、襲われるかもしれない、死んでしまうかもしれないという身を守ろうとする本能は、まだなくしていなかったようだ。
しかし、泥棒にしては、あまりに大胆すぎるし、どちらかと言うと、「変質者」がいるようだ。
いや、もしかして兄の仕業かもしれない。
でも、兄はとっくに成人している。
成人してからも学生服を着るような性格の兄ではない。
とりあえず、床に散らばる服たちを一つひとつ拾いながら、前に進んだ。
靴下を拾ったところで、中腰になった体を起こすと、自分の寝室の前。
今朝、家を出るときにはきちっとドアを閉めたはずなのに、扉は少し開いていた。
少しだけ開かれた扉から中を覗くが、クローゼットが見えるだけで様子が窺えない。
ふと、耳をすますと
「スースー」
という寝息らしきものが耳に入った。
「誰か寝てる…」
ドアに伸ばしかけた手をひっこめると、私は一歩、ニ歩と後ずさる。
完璧に…変質者が寝室にいる。私はそう確信した。
誰か呼ばなくては…。
カバンから携帯を取り出すが、アドレス帳には“家族”のアドレスと“友人”数名のアドレスしかない。
分かりきっていたこと、慌てすぎで自分の立場を忘れていた。
助けを求めたくても、私には誰一人いない。
唯一頼りの兄も海外で仕事中。
警察を呼ぼうかと思ったが、彼らに「くれぐれも、問題ごとは起こすな」と強く言われていたことを思い出し、仕方なく、私は携帯をカバンに戻し、暗いリビングへ戻った。
徐々に寝室にいる「変質者」のことは考えないようなり、そのまま流されるまま眠ることにした。
そうだ、私が死んだって、悲しんでくれるのは、兄だけ。
兄に悲しむ顔はさせたくなかったが、これも私の運命なのだと思えば、意外にすぅっと、恐怖心は消えた。
ごめんね、おにいちゃん。